第11章 映像制作会社への転身
社員1人を雇い2名で映像制作会社をスタートしました。
以前の清掃会社の倉庫の方がマシだったくらいのボロボロのトタン屋根部屋、床はべニヤ板1枚の薄さに逆戻り。
夏は40度を超える蒸し暑さ、冬は零下のなるほどの寒さの3坪の部屋で映像会社はスタートしました。
入社した社員は映像制作には全くの未経験でしたので 、カメラの撮影技術から編集まで、ズブの素人だった私が見様見真似で一から教え込みました。
仕事が有るわけではないので、こちらから出向いての営業先として、先ずは貴重な生涯の思い出を動画で残すイベント(結婚式、葬式、発表会等)をリストアップし、運営先に営業をかけました。
結婚式場に行き最初は無料撮影をし、見て良かったら買ってくださいということで10本撮ると3件ほどは買ってくれました。
幼稚園児の山登りに50キロ程度の機材を背負って撮影をしたり、葬式の撮影では親族に頼まれ棺桶の中まで隈なく撮影したこともあります。
英語教室の子供たちのオーストラリア留学の模様を記録する為海外での撮影も同行しました。
ちなみに私はインスタントカメラも手にしたことが無い無類の機械音痴です。
しかし窮地に陥れば人は何でもやれるもので、スチールカメラを飛び越えて映像のカメラを手に編集やナレーションまで入れるようになるわけで人生は面白いものです。
映像の企画・構成、シナリオから絵コンテ作成、撮影のカット割りまで、10代の頃漫画家になりたくて何本か自作の漫画を描いていた経験が役立ちました。
又映画・ドラマや美術館巡りが趣味でしたので、出来上がりの映像制作物の優劣についても目利きがありました。
徐々にビデオデッキの普及が進み映像による記録が一般的になり、婚礼式場や大型ホテルの結婚式の権利を次々獲得し映像会社の売り上げは順調に推移しました。
この頃よく婚礼の撮影の夢を見ました。
目が覚めると挙式はとうに始まっており、一生に一度の(最近はそうでもないですが 笑い)大切な記録を台無しにしてしまうという悪夢で目が覚めます。
経済的には大分安定してきましたが、精神的なストレスはその後10年ほど続きます。
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